鈴木盛久工房の様子

 

鈴木盛久工房へ行った際の様子です。

鈴木盛久工房は最上級の鉄瓶を造っています。ただこう書くと軽々しいですが、
第十三代の鈴木盛久(現在は第十五代。その祖父)が人間国宝でした。

その人間国宝であった第十三代鈴木盛久の下、徒弟制度により丁稚奉公
となった職人さんがおりました。私は骨董の世界も知っておりますが、
丁稚奉公から始めた方の技、見識は成人してからの10年20年では追いつくことが出来ません。

江戸時代にはもしかすると、今の鈴木盛久工房と同様に、本来の製造技術
によって造っている工房もあったと思います。しかし今は、どこにもありません。
どこの工房も機械化が進んでいます。

機械化で、手作業と同じものが造れれば良いのですが、残念ながらまだまだ
機会は本物の職人の手に到底及びません。 それが一番の理由です。

よって、鈴木盛久工房の鉄瓶と同じ品質でつくれる工房はただの一つもありません。
ただこれを盛久工房が自ら言う事は出来ないでしょう。私はその製造工程、
丁稚奉公から続く職人さんの技を知れば知るほど、鈴木盛久の鉄瓶の
素晴らしさを伝えていかねばならないという使命感にかられるのです。

少々大げさに聞こえるでしょうが、私だってこんな仰々しいことは書きたくありません。
それでも書いてしまうのは、その職人さんがいらっしゃる間しか、この鉄瓶は手に入らないからです。 
どこの工房も機械化しています。全て手作業で完璧な作品を作っているのは盛久工房だけです。

実のところ、知れば知るほど、鈴木盛久工房の鉄瓶はどれも安いと感じます。
別に煽っているわけではありません。むしろ水沢〜盛岡の工房のことを
熟知している方にそう言われて、改めて注目したくらいなのです。

鈴木盛久工房ゆえに差が最も現れるのは砂鉄の鉄瓶です。次がやはり
日の丸鉄瓶から上のクラスです。 以下は盛久工房へ行った際(2005年頃)
に書いたものですが、文章が稚拙です。 まだ盛久工房の凄さをあまり判っていない
ときに書いたものです。自分で読んでも少々間が抜けて軽々しい感じもうけますが、敢えてのこしておきます。  (2010年 10月2日)

 

戦前から残る鉄瓶です。 この鉄瓶、4リットル〜5リットル入ります。

 

取っ手はあの、“くるみ火ばし”を作る職人さんの、すぐ上の師匠!
さんの作った物だそうです。 時間の流れと、伝わることの素晴らしさを見ました。

 

ちなみに鉄瓶の下は、鉄瓶の型を使い古した物で、中には炭が入っています。

 

 

常に鉄瓶の中にはお湯が入っています。

工房のみなさんの知る限り、
戦前からずっと湯が入ったままで、使っては継ぎ足しでここまで来たそうです。

 

ただただ、すごい。。。

工房のなかは、道具がひしめき合っています。

 

しかし全ての道具が、秩序を持って整然と並んでいます。
『仕事場って、こういうものだよな。』 そんなことを変に、

そして勝手に 思って納得している自分がいました。

工房の中身

 

 

後ろに見えるのは中子(なかご)と呼ばれる型です。

この型、最も精巧な鉄瓶を1コつくるともう使い物にならなくなります。

回数の多い物でもせいぜい4コ程度作ったら型はもう壊します。
(1万円〜2万円の鉄瓶になると、1個の型から100コ前後作ります。)

壊したあとのその粉はそのまま床に捨てます。

なんとこの盛久工房の床の土は、この中子の元となる土だったのです。 つまり、昔から、工房の土を掘っては型にし、使い終わればまた床の土に戻って行くという、ものすごく合理的で? 無駄のない作業を繰り返してきているのでした。

型を背にした職人さんの様子
これが、これから壊されて床の土へと返っていく中子(なかご)達です。

今背中の見えている職人さん。

この方が、盛久工房の最もコアな、まさに心臓部といえます。

いつまでもお元気で!

とっても静かな工房の様子

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